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「メランコリア」
「メランコリア」を見た。

相変わらずこの監督の映画は、全編にわたって重苦しい空気である。

ストーリーは二章。
前半はジャスティンの結婚式。
後半はクレアと惑星メランコリアの話。

この話は言ってしまえば逃げ場のなさを前半では人間関係の業、後半では惑星の衝突の形で描いている。

結婚式という晴れ晴れしい舞台でありながら、仕事と権力しか脳にない上司、離婚して新たな娘二人を可愛がる父親、自己中心的に娘の式の最中に結婚の意味を全否定する母親(祝いの場には相応しくない普段着での着席がまた空気を濁す)、親愛なる夫もジャスティンからすれば己を疎ましく見ているであろう存在。
その辺りは憂鬱が胸を支配する状態での思い込みが事態を悪化させている部分もあるが、誰一人として実際にジャスティンの結婚式を心から祝福していないのではないか……と四方から追い込むかの態度が憂鬱に拍車を掛けている。
蠍座のアンタレスが消えたという事実も、暗い陰の象徴、不和や死の象徴とすれば分かりやすい。

前半に比べれば後半は分かりやすい展開だ。
惑星メランコリアが地球に急接近する天体現象を楽しむ父親と息子。
だがメランコリアの存在は地球の気象条件を歪ませ、雪を降らせて大気を奪う。
安全に地球の側を通過して離れる現象かと思われていたが、一時的に離れたメランコリアの軌道は再び地球に近付いて時間もなく破滅へと向かう。
科学者である夫に現象の真偽を問おうとすれば、夫は衝突の事実に絶望して服毒自殺をした後だった。

とにかく救いがない。
逃げ場がなければ、頼れる相手もいない。
そして誰かに助けを求める意思もない。

ドッグヴィルもそうだが、この映画の見所は鬱状態を患った人間の表情ではないか。
生気がない、視点が常に覚束ない、風呂に入るために浴槽に脚を掛けることさえ難しい。
思考が働かない。他人の感情など気遣えない。誰が見ても破滅に向かう行為にて破滅する。最初から悲観的であり、絶望的な状況をただ受け入れて滅亡を待つだけ。
短絡的という見方も出来るだろうが、そういう思考状態なのだから仕方がない。

しかし、メランコリアな精神状態と外部の状況の合致は描かれつつも、この映画はただそれだけで終わっている気がしてならない。象徴を解き明かして、意味を託した台詞を推測し、メランコリアな気分に囚われた人間の行動に納得しつつも、その先に何を見ればいいのか難しい映画だ。

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