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年末年始に読んだ本
年末年始に読んだ本まとめ。

麻耶雄嵩「化石少女」
麻耶雄嵩「隻眼の少女」
早見和真「イノセント・デイズ」

ミステリにも王道と邪道があり、王道と呼ばれるミステリは犯人・動機・トリックが一丸となって読者が納得出来る形で説明されているのではないかと思う。
つまり「犯人はこの学校の生徒のうちで、あの時間にあの場にいた人間だ」と一人に絞りきらずノイズを多数加えたままで推理を終える小説は、どうしても爽快感が得られずに中途半端な印象となって終わる。
動機の場合でも「ただ誰でもいいから殺したかった」と抽象的な答えが(例えそれが真実だとしても)投げられると、我々はそこに生まれや生育環境、遺伝や心理学の名を借りて何かしらの答えを見出したくなるのではないだろうか。

麻耶雄嵩や西尾維新のミステリにはそれらの王道を守らず、曖昧に終えることでモヤモヤとした読了感や邪道ミステリという名が生じるのだ。
そして今回もまた邪道中の邪道なミステリである。

「神様ゲーム」は最初に犯人の名が提示されて、それを絶対としてトリックの穴を詰めていく奇策ミステリだが、「化石少女」もまた近しい物がある。
高校の古生物部に所属する主人公とヒロインが、校内で発生した殺人事件を次々に解決する……という学園ミステリらしい設定になっているが、ヒロインの出した解答は、はいはい全てが外れ。探偵ごっこするならテストの赤点を減らす努力をして下さいよ、という軽くあしらわれる扱い。
勿論、麻耶ファンならば作中で軽視されている解答が真実であることは見抜いているはずだ。
サラサラと読めるこの小説が本物の悪意を発揮するのはエピローグ。
ぬるま湯に溶かした一滴の毒が読了感に嫌なモヤモヤを加えるのは間違いないだろう。

「隻眼の少女」は三津田信三のような民俗学ミステリーを期待すると肩透かしを食らう。
「木製の王子」の登場人物の全てが狂気に囚われた動機が理由かと思いきや、一つの静かに狂った私怨による犯罪。最近は一般層向けに和らいだ作りをしているのか、もう少し毒と狂気が混じり合う話が見たいと感じる。

「イノセント・デイズ」は非の打ち所がない作品だった。
一言で纏めるにはどの登場人物のエピソードも、作品全体のテーマも重たく濃いために、また別の機会で纏めたいと思う。


追記だが、犯人や動機を明らかにしない、又は重要な物として扱わずに大ヒットした作品が「ダンガンロンパ 1&2」だ。
誰でもいいから殺すこと、または犯人にランダム性を加えることで成立したトリックは目を見張る物がある。


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「メランコリア」
「メランコリア」を見た。

相変わらずこの監督の映画は、全編にわたって重苦しい空気である。

ストーリーは二章。
前半はジャスティンの結婚式。
後半はクレアと惑星メランコリアの話。

この話は言ってしまえば逃げ場のなさを前半では人間関係の業、後半では惑星の衝突の形で描いている。

結婚式という晴れ晴れしい舞台でありながら、仕事と権力しか脳にない上司、離婚して新たな娘二人を可愛がる父親、自己中心的に娘の式の最中に結婚の意味を全否定する母親(祝いの場には相応しくない普段着での着席がまた空気を濁す)、親愛なる夫もジャスティンからすれば己を疎ましく見ているであろう存在。
その辺りは憂鬱が胸を支配する状態での思い込みが事態を悪化させている部分もあるが、誰一人として実際にジャスティンの結婚式を心から祝福していないのではないか……と四方から追い込むかの態度が憂鬱に拍車を掛けている。
蠍座のアンタレスが消えたという事実も、暗い陰の象徴、不和や死の象徴とすれば分かりやすい。

前半に比べれば後半は分かりやすい展開だ。
惑星メランコリアが地球に急接近する天体現象を楽しむ父親と息子。
だがメランコリアの存在は地球の気象条件を歪ませ、雪を降らせて大気を奪う。
安全に地球の側を通過して離れる現象かと思われていたが、一時的に離れたメランコリアの軌道は再び地球に近付いて時間もなく破滅へと向かう。
科学者である夫に現象の真偽を問おうとすれば、夫は衝突の事実に絶望して服毒自殺をした後だった。

とにかく救いがない。
逃げ場がなければ、頼れる相手もいない。
そして誰かに助けを求める意思もない。

ドッグヴィルもそうだが、この映画の見所は鬱状態を患った人間の表情ではないか。
生気がない、視点が常に覚束ない、風呂に入るために浴槽に脚を掛けることさえ難しい。
思考が働かない。他人の感情など気遣えない。誰が見ても破滅に向かう行為にて破滅する。最初から悲観的であり、絶望的な状況をただ受け入れて滅亡を待つだけ。
短絡的という見方も出来るだろうが、そういう思考状態なのだから仕方がない。

しかし、メランコリアな精神状態と外部の状況の合致は描かれつつも、この映画はただそれだけで終わっている気がしてならない。象徴を解き明かして、意味を託した台詞を推測し、メランコリアな気分に囚われた人間の行動に納得しつつも、その先に何を見ればいいのか難しい映画だ。


「十二大戦」 西尾維新
西尾維新「十二大戦」を読んだ。

十二支の動物をモチーフにした戦士たちが互いに殺し合い、勝者はどんな願いでも叶えられる西尾維新らしいバトルロイヤル。
各章の扉に中村光デザインのイラストと西尾維新によるキャラ設定が記載されているが、話の内容にはあまり関与はしない。
申・未・寅あたりは補足説明になるか。
しかし本編にほとんど影響しないキャラ設定を考える点では西尾維新のキャラ作り能力の大盤振る舞いと言ったところ。

『ストレスが限界に来たと感じると、温泉に行く。だから向かう先が温泉地だと少し嬉しい。温泉卵、マジうまい』
『爪のお洒落は習慣化しているけれど、戦場に出向く時は、きちんとネイルを落としていく。さすがに、敵とは言え、デコった爪で殺すのは忍びない』
等々、本編に絡まない、どうでもいい設定が末文に付いているが、そのどうでもよさも相俟って西尾維新だ。西尾さんこういう一文を考える時は楽しかっただろうな。

話の内容は各キャラが登場しては殺されて、対戦しては殺されて……を11回繰り替えすだけの話、とはあまりにも纏めすぎか。
しかし何しろ登場人物が多い。十二人の思いや生き様や信念を書き連ねるには一冊という分量はあまりにも短い。
講談社ノベルスから出ている「伝説シリーズ」は四国の地を巡るだけでレンガ本が4冊だから、西尾節の論理と理屈で構成された会話を期待すると肩透かしに遭う。
(それでも丑と寅の正しさに付いての語りや、子の設定には考えさせられる物がある)

次々登場人物が現われてサクサク進む展開の速さはバトル好きには楽しめるか。
序盤からの一対一の簡単な勝負に慣れたところで始まる、中盤のタッグバトルの流れはそれぞれの思惑が画策して面白い。
やはり過去に因縁のある人間同士の絡みがいい。

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