気ままに興味あることを綴るだけ

年齢と性格
昔からどうにも女が苦手だった。
女という生き物は気が付くとすぐにグループを作り、グループ外の者や他のグループの者に対しては冷淡なまでに興味がない。
それに加えてことあるごとにすぐに他人の欠点や極めてどうでも良いことをあげつらい、堂々と、時には多数決の形を取って批判や悪口を連発する。

小学生の頃にはすでにそんな認識が自分の中に形成されていたのだが、最近それまでの既存概念を覆す体験をした。
下は高校生を卒業したばかりの女の子、上は既に子育てを終えたぐらいの年齢の主婦。
そういう幅広い年齢層が集まる輪の中で数ヶ月ほど過ごすこととなった。

それと同時並行で、地元にある喫茶店をめぐり、ほぼ初対面の見ず知らずの相手と小一時間ほど会話をする経験を積み重ねた。

そうして感じたのは、年齢を重ねるにつれて女性は人当たりがまろやかになるということだ。
俗に言う 「歳を重ねて丸くなった」 という奴なのだろうが、結婚・出産・子育てという人生のタスクを終えて、ある程度の貯蓄もできてやりたいように自分の人生を謳歌できている状態が人に対する余裕を作るのではないかと感じた。
もっともこれは母に言わせれば、年齢を重ねるにつれて段々細かいことがどうでもよくなった、ということらしいが。

それに加え、若いうちは金銭的な面やそれこそ親や先生という立場が上の人々にことあるごとに制限や反対をされていたのが、加齢と共に自分がやりたいことを自由にできるようになったことも大きく影響しているのではないかと思った。
人は自分が既に持っている物には嫉妬しない。
自分が持たず、なおかつあと少しで手が届きそうで届かない物を目の前にした時に、強烈な嫉妬を抱くのだ。

そういう訳で、自分は女という生き物に対する強烈な恐怖からようやく開放された。
そして小学生や学生時代には恐怖の対象でしかなかった突然キレだす女という存在も、よくよく観察してみるとある特定の一人だけが異様に攻撃的な性質を持っているということに気が付いた。

10人近くの女性と代わる代わる顔を合わす場で、一人は貫禄があり何でも知る大ベテラン、二人は大人のまろやかな態度を身に付けた主婦、一人は穏やかな性格のおっとりさん、一人はクールに近いが比較的友好的な同年代、一人は物静かで親に礼儀正しく躾けられたであろう丁寧さん、一人は遠くから上京して一人暮らしのしっかり者、一人は人見知りで自信なさげな一生懸命ちゃん、一人は無表情ながらも些細なことには動じない強メンタル――と多くの人がいる中で、一人だけ高圧的で威嚇的で攻撃的な態度を常に見せる者がいる。

かつての自分ならば、ちょっと男子ー!! とヒステリックに叫んで喚き散らす女がいたら萎縮して縮こまっていたが、自分だけではなく隣にいる日替わりの2名、年配者、同期の相手……と無差別に同じ態度を取る姿を目にすることで、怖ろしい相手というのは女性全般ではなく特定の一個人であるということにようやく気が付いた。

空間全体の雰囲気が違うのだ。
その一人がいる日といない日では。
なおかつヒステリックな態度に距離を取りたがっている者は自分ではないというのも重大な発見だった。

人は評価する者がいる場では評価され、評価する者がいない場では評価されない。

若くて刺々しい人々も加齢と共に丸くなり、評価される場所を発見することでまた丸くなるのだろう。
そして自分が不快に感じている時はまた同様に周囲の者も感じている可能性もある。

そういうことを思えば、今まで女性全般に感じていた恐怖心が消え失せた。
攻撃的な人は攻撃的。
しかしそうではない人も幾らでもいる。

重要なのはただひたすらに周囲の風景がよく見えるまで観察し、自ら率先して友好的に話し掛けてみることだ。






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パトリシア・ハイスミス「女嫌いのための小品集」
パトリシア・ハイスミスの「女嫌いのための小品集」を読んだ。
内容はまさにタイトル通りで、テンプレート的な嫌な女の数々をこれほどかと詰め込んだ短編集。
若さと美貌を武器にして各国様々な男達を渡り歩き、しかしその無敵に思えた容姿も歳を重ねるごとに衰えを見せ、最終的なは歯牙にも掛けないような男に縋って何処かに行方をくらます哀れな女。
あるいは子ども好きの女の話。結婚してもうんともすんとも妊娠の気配が訪れず、ようやく二人三人と連続して生まれ、親戚一同や友人たちから祝われ……この短編集にしては珍しいアットホームな話かと思いきや、その後も双子三つ子五つ子と、次から次へとポコポコうんざりほど子供を出産し、一般的な生活水準から育児費用によってスラムすれすれの低所得者用のアパートへ転落する惨めな話。
あるいは、これが最も多くの人間の心に突き刺さるだろうが、芸術に音楽に彫刻にダンスにと次々に趣味を試しては飽きてしまい、それでいて自らの自己顕示欲と満たされない思いを解消するために家庭と家事のことは放ったらかしにして文化的お稽古事に精を出す女。
女たちが芸術もどきに熱を上げる間に夫が何をするかといえば地道なゴミ出しに家の掃除に食事の買い物。
これは読んでいてなかなか皮肉に突き刺さる話だ。
女嫌い、女という性質、女という生涯……そういった側面を物陰からそっと眺めるには相応しい、苦々しいまでのオードブルの盛り合わせの一冊だ。

楽しさと充実感
最近ふと考えることがある。

時間もあり、金銭的にも事足りている状況だが、心の中はぼんやりとした虚無感がある。

この虚無感を埋めるために地元のカフェで人と話したり、居酒屋やバーで飲み食いを重ねたりしているが根本的な問題は何も解決していない。

ただ漠然とその無駄な隙間時間をどうにか有効的に活用出来ないかとぐるぐる考えている。

楽しいことを行っている。
人と会話することは新たな発見もあり、楽しいはずだがどうしても物足りない。
この満たされなさは「ライバルの欠如」ではないだろうか。

自由にきままに生きることに幸福を感じる人もいれば、真逆の想いを抱く物もいる。
そういう性格の人間はおそらく時間に制限が掛けられ、慌ただしく日々を過ごすことにある種の快感を覚えるのだろう。

そして更に必要とするのは和気藹々と過ごせる相手ではなく、張り合い競うための相手。

つくづく困った物だ。

書くこと 読むこと
夏前に体調を崩してから、ようやく回復を実感する。

そこで最近思うことは、書く・読む・喋る・聞くで使っている脳の部位がまるで違うのではないかということだ。
これら4つに分類した機能はどれも言語野に相当するはずだが、しかし体感として、それぞを使用している時のこめかみの圧迫感(血管を通る血流の激しさ)がまるで違っている。

そもそも自分は割と寡黙な人間だった。
寡黙というよりは比較的無口で、事あらば掲示板やtwitterを眺めて投稿することが多いタイプだった。
加えて趣味が小説を書くことで、人と会話しても比較的聞く側に回ることが多いタイプだ。

そうすると脳の働きが文章を書く用・読む用にカスタマイズされるのか、沈黙続きの空間でもまるで苦にならなくなるのだ。
それどころか会話をしないことが標準状態として認識されるのである。
一つの部屋に複数人がいても沈黙が普通。むしろ喋る方が輪を乱しているように思えるのだ。

そんな状態が長らく続いてから、どうしても喋らなければならない状態が訪れた。
一つの議題について論議するのではなく、終わりの見えない世間話と雑談の連続トークだ。

最初の内はその輪に入ろうと口を開いても、激しい会話のキャッチボールに付いて行けなかった。
喋れば喋るほどに頭痛が生じて、自分と外界の間に距離があるような、現実認識能力の著しい低下に直面した。
他人が何を言っているのか分からず、特に理屈や理論もなく表面的な言葉が次々と流れて行く状態に理解が及ばずに混乱し、頭痛に加えて自律神経系までもが撹乱されるほどだった。

そこから数ヶ月の期間が経過し、読み書きから離れ、人と喋ることに特化した生活を送っていたら今度は逆転現象が起きた。
言葉の表面的な意味しか捉えられず、また長期的な視野で考えを巡らせることもできず、その時その時の一瞬しか状況が把握出来ない状態に変わっていったのだ。
想像力も欠如し、単語能力も下がり、人に対する巨大な寂しさが生まれ、孤独にも弱くなった。

それからは文字を読んでも目前を流れて行き、文章を書こうとしてもこめかみの脈動で理論思考と忍耐力も失われた。
それに考えることをするとやけにこめかみの辺りが熱を持つようになったのだ。

失語症だろうか、脳機能の異常だろうか。

そういったネガティブな考えも度々頭に渦巻いたが、喋り続けてひたすらに次々話題を変えていけば不安も後方へと消えた。
ただ、思考と話題を保っていられない頭の悪さに恐怖を抱きつつ。

そして今日久し振りに一つの話題に特化して文章を打った。
相変わらずこめかみは熱いのだが、願わくばこのまま昔のように論理的に熟考ができる脳に戻って欲しい物だ。




やりたいことリスト・転職編
前回やりたいことリストを書き出してみたが、投稿して客観的に自分の欲望を眺めてみたところ、抱いた感想はただ一つだ。
やりたいことがあるならやれよ。
ただこれに尽きる。
そして、実際に心にある欲望を可視化してみると、恥ずかしいとか大それた事だと思っていたにも関わらず、案外大した事ではないということに気が付いた。加えてそれぞれの欲望があまりにも抽象的すぎて二の句が告げないとすら感じられた。

そういう訳で、今度は転職活動においてもやりたいことリストやこういう事がしたいリストを作成しようと考えた。
具体的に挙げれば何がしたいのか見えてくるはずである。
最初から完璧な人間なんていない。それと同時に最初から完璧に物事をこなせるはずがない。
それでは以下が自分が仕事に求める条件だ。

1.自分が着たい服を着て仕事をしたい。
2.動物や植物や生物に関わる仕事がしたい。
3.椅子に座ってできる仕事がしたい。
4.青空が見られる仕事がしたい。
5.都内で仕事がしたい。
6.大都市の中で仕事がしたい。
7.数年後にはインタビューが受けられるぐらい自分の仕事に誇りを持って語れるようになりたい。
8.自分だからできる仕事をしたい。
9.海外とも関わりたい。
10.世界を動かす仕事がしたい。

どうにも抽象的だ。
次は今までの自分の行動特性について書いてみよう。

11.文章を書くのが得意だ。
12.考察を考えるのが得意で、技術報告書も何本も作成した。
13.新しいことをするのが好きだ。特に行ったことがない街に出かけたり、食べたことがない物を食べたり、自分が知らないことを追いかけるのが好きだ。
14.乗り物に乗るのが好きだ。電車での長距離移動、バスや車による移動なども苦ではないし楽しく感じる。
15.手先が器用である。昔から針と糸を用いた作業も得意だし、試薬も0.00○単位での秤量が行えた。2mm以下の管に針を通す研究も2年に渉って続けてきた。
16.動物の臓器を用いた実験も得意である。頭部から直腸に至るまでのほぼ全ての臓器を実験で使用した経験があり、この辺りの物を嫌がらずに楽しく使えたところは自分の強みであると思う。
17.図説を読んで実験に挑んだところもまた自分の強みである。
18.また臓器や骨などを使った実験を行いたいなあ。
19.医療に携わりたいかもしれない。
20.開発職がやりたい。

とりあえず20個だ。
明日は100職種について調べてみよう。
自分はまだ業界についても職種についてもほとんど何も知らない。




やりたいことリスト
多くのブログで見かける「死ぬまでにやりたいことリスト」をこのブログでも書こうと思った。
理由は簡単だ。
自分の欲望と欲求を明確化することにより、果たして自分は何者なのか、その実態を明らかにすることができると思ったからだ。
また同時に、自分が経験した事のない分野の経験と知識を深化させることにより、今までと違った物の見方で世界を眺められるはずだ。
そんな訳で思い付くままにやりたいことを上げてみた。

1.気球に乗りたい。
2.乗馬がしたい。
3.スキューバダイビングがしたい。
4.トレッキングに行きたい。
5.富士山に登りたい。
6.高尾山に登りたい。
7.フラワーアレンジメントを始めたい。
8.台湾に行きたい。
9.ヨーロッパに行きたい。
10.アメリカの雄大な景色が見たい。
11.屋久島に行きたい。
12.小笠原に行きたい。
13.トンボ玉作りがしたい。
14.江戸切子の技術を深めたい。
15.小説の投稿をしたい。
16.絵を描きたい。

こうして書き出してみると欲深なようで、ほとんど趣味のない人間のように思えてならない。
思い付き次第また更新しよう。
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