気ままに興味あることを綴るだけ

プレッシャーの順番
ネット記事で「過真面目」という単語を目にした。要するに仕事に対するやる気もあるが、仕事がどうしてもできない人の内面的な状態を言い表した語句だ。
自分も新人として入ったばかりの会社では、何が重要で何が重要でないのか、どの会議に出るべきでどの会議には出ないでいいのか、何を一番に片付けるべきで何が後回しにしても問題がないのかが一切理解できずに泣きそうになりながら仕事をしたことがあった。 
今から思えば、社内よりも社外、自分のチームよりも相手チームへの依頼の際の対応が優先すべき(配慮すべき) だったはずだが、当時の自分はまずは自分。次に上司。その次に他のチーム、そして他の会社はどうでもいいという風に扱っていた。
これが何を意味するのかというと、おそらくは自分の身近な存在であり、ビビリ屋の自分が気に掛ける順番だった。
1.ミスをしたら怖いし恥ずかしい (自分)
2.ミスがバレて怒られるのが怖い(上司)
3.普段はさほど関わらないので悪評が伝わらない相手(他のチーム)
4.基本的に直接顔をあわせることがない相手(他の会社)
 
つまりプレッシャーを感じる相手を並べたらこのような状態だ。
本来であれば顧客や取引先が真っ先に考えるべき対象なのだろうが、組み立てる順番がこの通り逆になっていて、なおかつ甘える対象が遠い方からの順になっていた。
失敗する原因、恐怖を感じる原因、プレッシャーを感じる原因はもしかしたらこの順番の間違いにあるのかもしれない。
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少しだけ足を止めて考える
ここ最近は自分の内面の変化を確かめるためだけに、無作為に文章を打ってきたのだが、やはりそれだけでは何かが足りないのではないかと思っていた。目の前のことに対処して、そこで起きた変化を元に次に進んでいくというのも確かに正しい方法かもしれない。
ただしそれでは無差別に無秩序に道が広がりすぎてしまう。
人生を終わりのない暇つぶしだと考えればそれでも悪くはないと思うが、(実際人生なんてほとんどが偶然の出会いで成り立っていることを考えれば、犬も当たれば方式で進むのも悪くはないはずだ) ただし、自分が何者かになりたくて足掻いているような状況では、そればかり行っていても手が付けられなくなってしまうのではないだろうか。
様々な方向にアタックし続けてその中から良いと思った物を拾い上げる、それか様々なものに挑戦してその中からパターンとなるような物事を分析する、そういった方法なら悪くはないと思うが……。
そろそろ一度何処かでこれまでに起きたこと、行ったことを振り返ることが重要かもしれない。

生まれたばかりの世界を掴み  3
オットー・ビアノスミス。
社交的でハンサム、そして有名大学院出身のインテリ。語学の才能もあり、故郷に帰れば両親が大金を暖炉の前に並べて待っている。本人の口から漏れた情報を繋ぎ合わせてみれば大体はそんなところだが、抽象的な評価だけが周囲にまとわりついて、肝心の実態については長年一緒に連んでいた相方のミーヤ・ベルギアンにすら分かりかねる部分があった。
炭焼き工の末裔かと尋ねたこともあるが、僕が精一杯の知識を活用して問い質していると察すると、含んだように両頬を吊り上げてにやにやと曖昧に首を振るだけだった。そういう名前のぼかしと同様に、オットーには肝心なところで真意をぼかす悪癖があった。
それが任務外の一時ならば気障ったらしい同僚として、無視をすればいいだけだが、オットーの場合は時には敵も味方も両方がごちゃ混ぜに破壊と暴力に巻き込まれることを楽しんでいる、そんな気配も見え隠れしていた。
例えば食事時に起きた一つのトラブルがある。知り合って間もなくの頃はまだ気にも留めなかったが、今から振り返ってみれば小さな混沌の破片こそがオットーを極めてよく象徴していたと思う。
物語というのは得てしてそんなものだ。一つ一つは些細な断片なのだが繋ぎ合わせてみればいかようにも変貌を遂げる一つの絵となる。いや、逆に全体像があらかじめ存在し、そこから散らばった破片の一つ一つが時たま見え隠れして、異形や畏怖の対象となるのかもしれない。
なんにせよ、その日のエピソードはアンバランスで身の収まりがどうにも悪い。
僕の胸のうちにある違和感を振り返るつもりで、デバイスに打ち込んだ退屈の文字の下にオットーと名前を打ち込み、幾つかの象徴的な単語を連続的に並ばせた。

またもや落下
最近気分が落ち着いたと思っていたのに、突然全方向が闇に包まれるような絶望感を味わった。気持ちの上では楽しいことを探して、一つ一つやりたいことを実行しているつもりだったのだが、客観的に引いた目線で見てみれば自分の現状は何一つ改善されていないということに気が付いたのだ。
昔から思っていたが、どんな娯楽も楽しみも喉元を過ぎれば虚しくなる。
どんなに豪勢な食事も食べる前と最中は楽しくても、食べ終わってしまえば記憶に残らない。
消化して消費するだけでは意味がない。

実験予定
カクテルの種類について詳しくなろう
ビールの飲み比べもしてみたい
今まで自分が知らないことを試してみたい

生まれたばかりの世界を掴み  2
退屈。
真っ先にデバイスに打ち込んだのはその一語だった。
かつては連日のように歩いたニューヨークの大通りも、何度も死線を彷徨ってきた僕にとっては退屈そのものとしか言いようがなかった。
ありふれた平和に聞き慣れた言語は、国境警備隊の一員を相手として任務に当たっていた僕には物足りない物だった。
遥か先まで立ち並ぶ金属のフェンス。ブーツの底で蹴りをかませばガシャンとやかましい音を立てて軋むありふれた妨害物だ。時にはそれが有刺鉄線となり、高圧電流が流されることもあるが、いずれにせよ絶対的な境界線として人々の前に立ち塞がっていた。
当然ながら周囲にはサブマシンガンを備えた警備兵も並んでいた。フェンスを挟んだそれぞれの集団が民族、言語、あるいは宗教などの面によって絶対的な差があればあるほどに両者間の緊迫感も強いものだった。
僕がそこで何をしていたかと言えば、見事なまでの領域侵犯。フル装備で警戒に当たっていた警備兵の頭蓋骨を撃ち抜くか、頸動脈をナイフで掻き切るか、心臓が二度と動かないようにハートを左右に引き裂いてやるのが仕事だった。
当然ながら危険は多い。死んで当然の覚悟を決めた本気の兵士を相手に、上からの命令に絶対服従の下級兵士が正面から挑んで敵うことは極々まれだ。
だから僕たちは大体の場合は五人一組でチームを組んで任務に当たらされた。仲間割れを防ぐための五人。いざという時に民主主義の象徴である多数決のルールに従い決定を下すための五人。ソビエトの経済政策にも使われた五という数値。
それで能力が均等にそれぞれ割り振れればいいのだが、中には寄せ集めだけの成果しか出せないチームもある。万が一、それが前線に送られた場合は単なる犬死にの集まりでは許されない。敵国の捕虜として捕まる場合は勿論のこと、運よく死んだところで装備や武器の形状から何処から指令を受けた存在か、分析されて暴かれてしまう。そうなればそいつらは単なる目眩しの捨て駒どころか、本部が標的として扱われる一因として大損害を引き起こす。
そうならないために何度かの訓練と経験の後、僕たちは一目で互いの力量と諸々の技術を把握する能力を得た。そして互いが何を動機として特殊兵の道を選んだのか、人生における隠された闇までも見抜けるようになった。大抵は金か仕方なくこの道を選ぶしかなかった負け犬連中ばかりだったが、そういう奴らほど生に対して貪欲だ。無茶はせずに慎重に落ち着いた作戦と、無難ながらも確実な一手で相手を仕留めて、成果を必ず物にする。
死を前にすれば誰でも必死になる。
そういう中では、オットー・ビアノスミスは例外とも言える存在だった。

生まれたばかりの世界を掴み  1
まるで認知療法みたいだ、そう僕は思った。アルファシンノコイドと名付けられた軍事用の薬物の効用が身体からすっかり抜け落ちるまで、担当するドクターより携帯用のデバイスを片手に毎日の記録を付けるようにと命じられた。
荒野に降り立つのが今までの任務なら、真白で漠々とした画面を制圧するのが新たな任務らしい。
そうは言っても、訓練者や銃火器の取り扱いマニュアルを読むのが精々という人間が文章を書けと言われて初っ端からまともな物が書けるはずがない。小等部の学生が記述するような単純な短文の羅列がいいところだ。
肩を竦めて、皮肉交じりにドクターにそう返せば、僕と同じように戦闘ばかりで頭が空っぽな兵士の扱いに長けた産業医は慣れた様子で淡々と、
「なんでもいいんですよ。日常で見付けた色彩。ちょっとした風景。腹が立ったこと、涙を零したくなった事件、身をよじるほど愉快な出来事……重要なのはあなたが何を見て何処に行って何を感じたかを自分自身で把握することです」
とカルテに記載しながら言葉を吐いた。
その行為の奥には、下級兵士には理解の及ばない意図が間違いなく隠されているのだろうが、遠目で見ればそれはたかだか日記だ。変に反抗的な態度を示して評価Cマイナスを食らった日には、再び戦場に立つことは到底難しくなる。
僕は仕方なく、左手に頑丈に取り付けられた携帯端末を眺めながら、出来の悪い生徒が教師に見せるように「イエス」と頭を下げて頷いた。
ところで僕の左腕に取り付けられた携帯端末。正式名称は意思行動傾向把握認知装置で少々長ったらしい。
巷ではそれを揶揄して携帯型監視監獄装置だの歩く道徳的強要コレクションだのと呼んでいるがーー世間で認識されている程度には一般的に普及されているデジタル機器だ。
元々は刑務所から出所したばかりの犯罪者に取り付けられていたそうだが、それが一部の若者には反体制的なファッションとして受け入れられ、今では大多数の人間が娯楽用に取り入れている。
どんな機器も大抵の場合は軍事や医療産業用に生み出され、より高品質に小型化されて大衆受けする道具に変貌させられるというが、アダルト目的でなく普及するのは珍しい。そういった原則によりこの機器もまた地下組織において高額な売買が行われているそうだ。
だがそれは久しぶりに泥濘でない、完璧に舗装された道路を新品のスニーカーで歩む僕にとっては無関係な話だ。
今はまだ、凡庸でありながら新鮮なこの世界をどうやって僕自身の言葉で翻訳していくか、それを考えて青空に顔を向けるだけだった。

しばしの休息
前回文章を投稿した時から一週間しか経っていないが、自分でも意外に思うほど精神が落ち着いている。これまでの期間に高尾山に登り、乗馬の風景を眺め、自動車教習所も仮免許の手前まで進み、ジャムを作り、コンポートとパンを作り、ローストビーフを3回焼いてみた。
その結果として分かったことは、人間はなんでもやればできるし、なれればすぐに何てことないものとなるということだ。
昔は何を行うにせよ、どれも難易度が高くて許可がなければ到底できるものではないという風に考えていた。
しかしながら試してみれば、どれも可能なことだった。そもそも先人者がいるのであれば再現することも、ひときしりノウハウ磨かれてアマチュアでも真似できる程度のマニュアルが形成されているのも当然だろう。
そして次の困り事としては、持続する力がないということと自分が他にやりたいことに何があるのかの2点だ。
やりたいことと楽しいことを続けていれば毎日幸せかと思っていたが、接ぎ木のように導入した娯楽は一時凌ぎの快楽と満足しかなく、過ぎてしまうとまた心に寂しさが宿ってしまう。
寂しさを感じさせないほど継続的に情熱を注げる対象が早く見つかれば良いのだが。

インドに行きたい
海外旅行をしたいという思いは常にある。

特に行く人によって感想が二分されるインドは非常に興味がある。

今日はインドに4回も行ったという女性と出会った。
その女性に言わせると、インドは来ることが運命であるかのようだったと語っていた。

またインドの砂漠でラクダに乗った時も言いようのない感想で涙がぼろぼろと零れたという話もしていた。

当時は飛行機代だけで2万円という格安の価格で、しかもインドに長期滞在しても数万円しかかからなかったというのも非常に心惹かれる話だ。
インドならホーリー祭に行って見たいと思う。

バリ島も最近少し気になっている。
イタリアもハワイも気になる。
心惹かれることが沢山あるんだ。

最近行ったこと
最近新たに始めたことはなんだろうと考えている。

こうして適当な記事ばかりでブログを書いているのも一つの実績だろうし、カフェからカフェへと人の紹介に乗ってあちこち回るというのも新たに始めたことだ。

適当な格好で高尾山に登ったなら、次は別の山を巡りたいと思うし、写真撮影も始めたい。

喜ぶ人がいるから公開するという形で記事を書きたい。
自分自身を自慢するような形はどうにも苦手だ。

最近は他にも切り絵工作も始めた。

ずっと汚れたままだった玄関や庭先も整えだした。

そう、こういう事をしてみて思うのは、物を買うよりも人と楽しく会話した方が何倍も充足感が生まれる。
そして自分自身で決めたタスクを達成すると、また紛れもない幸せが生まれる。

ただし、どんなに満足しても、どんなに失敗したと思っていても、記憶は未来から過去に流れて行く。
いいことも悪いこともどんどんと塗り潰されていく。
だがしかし、それこそが人生の醍醐味なのかも知れない。

人生とは旅と勉強、どうも自分の人生はそんな物でできているのかもしれないと最近よく思う。

明日は何処に向かって進もうか。
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