気ままに興味あることを綴るだけ

書くこと 読むこと
夏前に体調を崩してから、ようやく回復を実感する。

そこで最近思うことは、書く・読む・喋る・聞くで使っている脳の部位がまるで違うのではないかということだ。
これら4つに分類した機能はどれも言語野に相当するはずだが、しかし体感として、それぞを使用している時のこめかみの圧迫感(血管を通る血流の激しさ)がまるで違っている。

そもそも自分は割と寡黙な人間だった。
寡黙というよりは比較的無口で、事あらば掲示板やtwitterを眺めて投稿することが多いタイプだった。
加えて趣味が小説を書くことで、人と会話しても比較的聞く側に回ることが多いタイプだ。

そうすると脳の働きが文章を書く用・読む用にカスタマイズされるのか、沈黙続きの空間でもまるで苦にならなくなるのだ。
それどころか会話をしないことが標準状態として認識されるのである。
一つの部屋に複数人がいても沈黙が普通。むしろ喋る方が輪を乱しているように思えるのだ。

そんな状態が長らく続いてから、どうしても喋らなければならない状態が訪れた。
一つの議題について論議するのではなく、終わりの見えない世間話と雑談の連続トークだ。

最初の内はその輪に入ろうと口を開いても、激しい会話のキャッチボールに付いて行けなかった。
喋れば喋るほどに頭痛が生じて、自分と外界の間に距離があるような、現実認識能力の著しい低下に直面した。
他人が何を言っているのか分からず、特に理屈や理論もなく表面的な言葉が次々と流れて行く状態に理解が及ばずに混乱し、頭痛に加えて自律神経系までもが撹乱されるほどだった。

そこから数ヶ月の期間が経過し、読み書きから離れ、人と喋ることに特化した生活を送っていたら今度は逆転現象が起きた。
言葉の表面的な意味しか捉えられず、また長期的な視野で考えを巡らせることもできず、その時その時の一瞬しか状況が把握出来ない状態に変わっていったのだ。
想像力も欠如し、単語能力も下がり、人に対する巨大な寂しさが生まれ、孤独にも弱くなった。

それからは文字を読んでも目前を流れて行き、文章を書こうとしてもこめかみの脈動で理論思考と忍耐力も失われた。
それに考えることをするとやけにこめかみの辺りが熱を持つようになったのだ。

失語症だろうか、脳機能の異常だろうか。

そういったネガティブな考えも度々頭に渦巻いたが、喋り続けてひたすらに次々話題を変えていけば不安も後方へと消えた。
ただ、思考と話題を保っていられない頭の悪さに恐怖を抱きつつ。

そして今日久し振りに一つの話題に特化して文章を打った。
相変わらずこめかみは熱いのだが、願わくばこのまま昔のように論理的に熟考ができる脳に戻って欲しい物だ。



スポンサーサイト

コメントの投稿

 管理者にだけ表示を許可する

Copyright © 硝子の青空. all rights reserved.